愛する人達

愛する人達

ばうばうとした野原に立つて口笛をふいてみてももう永遠に空想の娘らは来やしない。なみだによごれためるとんのずぼんをはいて私は日傭人のやうに歩いてゐる。ああもう希望もない 名誉もない 未来もない。さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが野鼠のやうに走つて行つた。 萩原朔太郎といふ詩人は、もうすでに此世にはないけれども、此様な詩が残つてゐる。 専造は、大学のなかの、銀杏並木の下をゆつくりと歩きながら、 この詩人の「宿命」といふ本の頁をめくつてゐた。 約束の時間を十分も過ぎたが、五郎の姿はみえない。繁つた、銀杏の大樹はまるで緑のトンネル。...

亜米利加の思出

亜米利加の思出

皆様も御存じの通り私は若い時|亜米利加《アメリカ》に居たことはありますが、 何しろ幾十年もむかしの事ですから、その時分の話をしてみたところで、 今の世には何の用にもなりますまい。米国がいかほど自由民主の国だからと云ってその国に行って見れば義憤に堪えないことは随分ありました。社会の動勢は輿論《よろん》によって決定される事になって居ますが、 その輿論には婦人の意見も加っているのですから大抵平凡浅薄で我々には堪えられなかった事も少くはありませんでした。...

私の生ひ立ち

私の生ひ立ち

 学校へ行く私が、黒繻子の襟の懸つた、茶色地に白の筋違ひ雨と紅の蔦の模様のある絹縮の袢纏を着初めましたのは、 八歳位のことのやうに思つて居ます。私はどんなにこの袢纏が嫌ひでしたらう。 芝居で与一平などと云ふお爺さん役の着て居ますあの茶色と一所の茶なんですものね。 それは私の姉さんの袢纏だつたのを私が貰つたのだつたらうと思ひます。 十一違ひと九つ違ひの姉さんの何方かが着て居ましたのは恐らく私の生れない時分だつたらうと思ひます。 大阪へ出て古着を安く買つて来るのがお祖母さんの自慢だつたやうですから、...

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Tamayo

Tamayo

大阪府吹田市生まれ。

フリー看護師
看取り士

~Tamayo Kinoshita~

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